マレーシアでローカルバスの旅 
by FuFu

欧州や南米など世界中を旅したマレーシア人のFuFuさんが、今回は、ローカルバスで母国を巡りました。バスでの出会い、訪れた町の人とのおしゃべり。約半年をかけて、のんびりとバスに揺られて見つけた故郷マレーシアの魅力とは。

ハッピー・ビレッジで見つけた幸せ

カンポン・バハギアという町に向かう車内。ラクサ(香辛料の効いた麺料理)談義で盛り上がっている。隣の席のパチッ(おじさんの総称)行きつけの店「カッ・ス・ラクサ」は残念なことに本日定休らしい。

カンポン・バハギアKampung Bahagiaは、訳すとハッピー・ビレッジ。道で会ったマチッ(おばさんの総称)に地名の由来を尋ねると「ここで暮らす人はみんなハッピーだからね」と。
カンポン・バハギアKampung Bahagiaは、訳すとハッピー・ビレッジ。道で会ったマチッ(おばさんの総称)に地名の由来を尋ねると「ここで暮らす人はみんなハッピーだからね」と。

 

町に着いた。魚獲りの網を手入れしている人、そのまわりで元気よく遊ぶ子ども、鶏や山羊が放し飼いにされていて、庭先ではお年寄たちがのんびりしている。

 

歩いていると、川沿いの家の人に手作りのラクサを食べていかないか、と誘われた。でも鍋の中を見ると、スープがほとんど残っていない。それなのに見ず知らずの僕にラクサをごちそうしたいなんて。その気持ちがうれしい。

 

モスク近くの海辺は人気の夕日スポット。カップルや子ども連れの家族が集まるなか、パチッ&マチッのグループと話をした。彼らは1年に1度、かならず旅をする仲間で「昔は10人だったけど、今は6人に減ってしまったよ」という。

 

幸せって、何だろう。家族で過ごすこと。近所の人とおしゃべりをすること。それに数人の友人がいれば、それこそが最高なことなのかもしれない。

時を刻むステンドグラスの光

ボタン式ブザーのレトロバスに揺られ、タイピンに到着。ターミナルを出ると、昔の豪邸といった趣の建物が目に飛び込んできた。1929年に建てられた歴史ある「北京ホテル」だ。

北京ホテルは、タイピンTaiping・バスターミナルすぐ目の前にある。エントランスのタイル床がフォトジェニック。3泊でお願いしたら、すこし割引してくれた。
北京ホテルは、タイピンTaiping・バスターミナルすぐ目の前にある。エントランスのタイル床がフォトジェニック。3泊でお願いしたら、すこし割引してくれた。

 

受付の女性に、ここら辺で食べられるおすすめの料理について尋ねると「ラルッ・マタン・ホーカーセンターのチャークイティオ(焼き麺)は昔ながらの炭火で調理していて最高よ。大根餅は朝4時に販売スタートで、8時に完売するぐらい人気。あと、移動販売のライスヌードルね。到着の合図に皿をスプーンでノックするんだけど、その音色にちなんで“ディンディン”と呼ばれているのよ」とおしゃべりが止まらない。ディンディンに惹かれて町中を探したが、神出鬼没のようで、会えなかった。

 

2階の共用居間の窓には美しいステンドグラスが施されていた。そこから差し込む光は時間によって変化し、それによって建ち並ぶショップハウスやブキッ・ラルッの山々の表情も違ってみえた。

 

次々に新しいホテルが建設されているマレーシアでは、北京ホテルのような古いホテルは消えつつある。でもときに、歴史あるホテルでタイムスリップ気分を味わうのもいいものだ。

 

受け継がれる広西コミュニティ

SNSにアップした旅の写真を見て、友人のカイシンから「近くにいるみたいだから、うちに来ない?」と連絡があった。向かった町はスラッ・パガー。家に着くと、僕の歓迎パーティーを開いてくれた。

 

スラッ・パガー Selat Pagarのカイシン家でごちそうになった蒸し鶏。生姜ソースがかかっていて、さっぱりした味。
スラッ・パガー Selat Pagarのカイシン家でごちそうになった蒸し鶏。生姜ソースがかかっていて、さっぱりした味。

 

カイシンは中国・広西省にルーツがあるマレーシア人だ。両親は広西の方言で会話をするが、彼女自身は理解はできても話すことはできない。若い世代は、そのような人がとても多い。

 

蒸し鶏、ヤム芋と豚肉の煮もの、具入りの厚揚げ。いただいた料理はどれも広西の伝統の味で、とてもおいしかった。

 

ここスラッ・パガーで暮らす人々の多くは、同じ広西省にルーツがある。カイシンのお父さんによると、広西省移民は中国からの移民のなかで最後の時期に来たため、仕事があまり残っておらず、ゴム農園や錫の採取などのキツイ仕事に就くことを余儀なくされた。ときに搾取や偏見もあったという。しかしながらあきらめずに努力を続けて、今では自分の土地を持っている、と誇らしげに教えてくれた。

 

滞在2日目の夜、ある家で引っ越し祝いパーティーが開かれた。家のあるじは村の人みんなを招待し、もちろん僕も招待された。普段は静かな村にとって、多くの人が集まるのはめずらしいことで、それはめでたいことでもあった。幸運なことに、僕もそこにいる機会に恵まれたのだ。

 

「どんなに小さな出来事でも、この町では、みんなの大きな関心事になるの」とカイシン。みんなで共に祝うことで互いの近況を共有し、絆を深めているのかもしれない。

オランアスリの人々とって僕はエイリアン

スラッ・パガーから3つほど山を越え、広大なゴム農園を通り過ぎ、ガタガタの山道を上ると、オランアスリの村に到着した。今回はローカルバスではなく、カイシンのお父さんに車で連れてきてもらった。

青い空と緑の森に、アタップ(椰子の1種)で作られた住居がよく映えた。
青い空と緑の森に、アタップ(椰子の1種)で作られた住居がよく映えた。

 

僕はオランアスリのことをほとんど知らない。彼らにとって森は大事な資源で、ハーブや木の根を薬として利用することもあるという。

この村は16世帯で約70人が暮らしていた。若い男性はゴム農園で働いているため、昼間はお年寄り、女性、子どもばかり。彼らが話す言語は僕にとってはまるで外国語に聞こえたけど、彼らはマレー語も話すことができ、マレー語のテレビ番組を楽しんでいる家族もいた。

 

政府が支給したコンクリートの家は好まれず、風通しのいい昔ながらのアタップの家で暮らしていた。
政府が支給したコンクリートの家は好まれず、風通しのいい昔ながらのアタップの家で暮らしていた。

 

色んな発見があった。彼らは寝るのが早い。それは電気を使わないからで、蝋燭も使っていなかった。子どもの服は寄付されたものが多く、ときにブランドものの服も。空を見て天気を予測し、星空の下でダンスをする。彼らの願いはとてもシンプルで、3度の食事、健康でいること、そして森で生きる自由。

 

僕らはいつも何かを追い求め過ぎている。森で暮らす彼らの方が、人生というものを理解している気がしてならない。

 

旅エッセイ本『My Journey By Bus』(Lam Ching Fu:FuFu著)より
編集:古川 音(Oto Furukawa)
取材・写真協力:FuFu

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