東南アジア王朝史~2

1世紀に興った扶南をはじめ、インドシナ半島大陸部の沿岸地域を中心に発展した東南アジアの初期王朝。5世紀以降は島嶼部でも各地に王国が誕生し、海上交易による繁栄、仏教やヒンドゥー教をベースにした文化の発展が進みました。

ドヴァラヴァティ王国 DVARAVATI <6~11世紀頃>

現在のタイに興った最初の国家で、タイ族以前にこの地に居住していたモン族による王国といわれています。おもにチャオプラヤー川流域に点在した都市国家の連合体だったと考えらており、楕円形が特徴の城郭都市遺構が各地に残されています。

遺構からは、製塩や製鉄所跡などが発見され、「徳の高いドヴァラヴァティの王」と刻まれた銀貨も出土。農業生産のほか、河川や港湾を利用した交易国家であったことがうかがえます。

ドヴァラヴァティ王国の古代都市とされるシーテープ歴史公園
ドヴァラヴァティ王国の古代都市とされるシーテープ歴史公園

王国の中心都市に推定されているのが、バンコクの西50㎞ほどに位置するナコンパトムで、インドシナ半島で最初に仏教が伝わった地として知られています。街の中心に立つ世界一高い黄金の仏塔プラ・パトム・チェディは、3世紀頃にモン族によって建立され、ドヴァラヴァティ王国時代には国家の重要な聖地だったといわれています。
また、仏塔の近くにはドヴァラヴァティ王国時代の出土品を展示するプラ・パトム・チェディ国立博物館もあり、独自の様式をもつ仏像などを見ることができます。

古代の様式を残すプラ・パトム・チェディ
古代の様式を残すプラ・パトム・チェディ

ドヴァラヴァティ王国は、最盛期には現在のタイ大陸部のほぼ全域にまで勢力を広げましたが、9世紀頃からクメール王国(アンコール朝)に押されて衰退します。11世紀初頭にはクメールの支配はチャオプラヤー川流域までおよび、ドヴァラヴァティ王国は消滅。モン族の勢力の中心は現在のミャンマー南部へと移行しました。

ピュー王国 PYU <7~9世紀頃>

ピュー王国最大の都市シュリークシェートラに5世紀頃に建てられたボーボージー・パゴダ
ピュー王国最大の都市シュリークシェートラに5世紀頃に建てられたボーボージー・パゴダ
バガンのミャーゼディ寺院に残る碑文。4面にピュー語、ビルマ語、モン語、パーリ語が刻まれ、ユネスコの世界記憶遺産に登録
バガンのミャーゼディ寺院に残る碑文。4面にピュー語、ビルマ語、モン語、パーリ語が刻まれ、ユネスコの世界記憶遺産に登録

ミャンマー中部のエーヤワディー川流域には、紀元1世紀頃からピュー(中国表記では驃)という民族が居住しており、各地に城郭都市を築いてそれぞれ独立した都市国家を形成していました。やがて大きな都市の指導者は王を名乗るようになり、7世紀頃には最大の都市シュリークシェートラの王が、他の小王を従えるかたちでピュー王国(驃国)が成立。8世紀頃の記録では、シュリークシェートラは18の属国を従え、9の都城、298の集落を有したといわれています。

文化的にはインドから仏教とヒンドゥー教を受容し、独特のスタイルをもつ仏塔などを残しました。ピューの建築様式は後のバガン朝にも受け継がれ、バガンを代表するシュエズィーゴン・パゴダもその一例とされています。また、ミャンマー独自のナッ神信仰と聖地ポッパ山もピューの時代に形成されたといわれています。

現在までに発見されているピューの城郭都市は楕円形のものが多く、隣接するモン族の国ドヴァラヴァティと共通点が多いのが特徴。主な都市は、シュリークシェートラ(タイエーキッタヤー)、テーゴウン、ベイッタノー、ワディー、マインモー、ハリン、ダガウンの7都市で、そのうちの3つの都市遺跡(シュリークシェートラ、ベイッタノー、ハリン)は世界遺産に登録されています。

ピュー王国は稲作を中心とする灌漑農業を基盤に、自国で鋳造した銀貨を用いた国際交易などで繁栄しましたが、9世紀頃から中国の雲南地方にあった南詔国の攻撃を受けて衰退。9世紀後半にはピューの諸都市はことごとく破壊され、ピュー人の多くが中国へ連行されたと伝わります。

<ピュー王国に関連する世界遺産>

「ピュー古代都市群 Pyu Ancient Cities」
◆ミャンマー◆2014年登録

「バガン Bagan」
◆ミャンマー◆2019年登録

シュリーヴィジャヤ王国 SRIVIJAYA <7~14世紀頃>

マラッカ海峡を中心とする地域に、670年頃に出現したマレー系民族による王国。7世紀頃から東西交易の主要ルートとなったマラッカ海峡一帯を支配し、多くの港市国家を従える海上交易帝国として繁栄しました。中国史料では「室利仏逝」と表記され、熱心な仏教徒の国であったことが、7世紀に王国に滞在した中国僧の著書に残されています。

王国の都ムラユは、現インドネシアのスマトラ島パレンバンとみなされていますが、ジャワ島(インドネシア)、マレー半島側のケダ(マレーシア)、チャイヤー(タイ)など各地に拠点都市があり、時代により王国の中心も移動したと考えられます。たとえば、タイ南部で出土した775年の碑文には、「シャイレーンドラ王家のシュリーヴィジャヤ王」という表現があり、この時代にはジャワ島中部のシャイレーンドラ朝が連合王国シュリーヴィジャヤのリーダー(王)であったことがうかがえます。

シュリーヴィジャヤ王国時代の遺構はあまり多くはありませんが、タイ南部の街チャイヤーには、シュリーヴィジャヤ様式建築の代表例である仏塔プラ・ボーロマタートが残されています。また、チャイヤーで出土した仏像や菩薩像はシュリーヴィジャヤ美術の至宝と名高く、バンコクの国立博物館で見ることができます。

シュリーヴィジャヤの建築様式を伝えるプラ・ボーロマタート
シュリーヴィジャヤの建築様式を伝えるプラ・ボーロマタート

莫大な富を生むマラッカ海峡の交易支配権をめぐり、王国の本拠地であるスマトラ島は、11世紀頃から南インドのチョーラ朝やジャワ島の諸王朝に攻められ衰退。1377年にはジャワ島中部のマジャパヒト王国に征服されて滅亡しますが、シュリーヴィジャヤ王国の最後の王子パラメスワラは対岸のマラッカへ逃れ、のちにマラッカ王国を建国します。

シャイレーンドラ朝 SAILENDRA <8~9世紀頃>

山々に囲まれたボロブドゥール寺院。シャイレーンドラはサンスクリット語で「山の王」を意味する
山々に囲まれたボロブドゥール寺院。シャイレーンドラはサンスクリット語で「山の王」を意味する

8世紀中頃にジャワ島中部に栄えた王国。王統や民族については諸説あり、ジャワ島出身の地方領主が台頭した説のほか、インドや扶南を起源とする説などがあります。

シャイレーンドラ朝は稲作に適したジャワ島中部の農業生産に加え、8世紀後半にはシュリーヴィジャヤ王国を支配して海上交易路をも掌握。チャンパ王国や真臘など大陸側にも遠征して勢力を拡大しました。歴代王は大乗仏教を信奉し、潤沢な資金をつぎ込んでボロブドゥール寺院をはじめとする多くの仏教寺院を建設したことで知られています。

770年頃に着工し、825年頃に完成したボロブドゥール寺院
770年頃に着工し、825年頃に完成したボロブドゥール寺院

9世紀前半、シャイレーンドラ朝はいまだ絶頂期にありましたが、王女プラモーダヴァルダニーが、同じジャワ島中部に共存していたヒンドゥー教国の古マタラム王国(サンジャヤ王家)のピカタン王と結婚。二人はプランバナン寺院を建設し、ボロブドゥールにも寄進を行うなど、互いの宗教に敬意を払いながら共同統治を行います。
しかし、ジャワ島中部ではしだいにヒンドゥー教が優勢となり、古マタラム王国の時代に入ります。

<シャイレーンドラ朝に関連する世界遺産>

「ボロブドゥール寺院遺跡群 Borobudur Temple Compounds」
◆インドネシア◆1991年登録

古マタラム王国 MATARAM <8~10世紀頃>

古マタラム王国サンジャヤ王家によって建造されたプランバナン寺院
古マタラム王国サンジャヤ王家によって建造されたプランバナン寺院

 

インドネシアのジャワ島中部、現在のジョグジャカルタ一帯に、8世紀初頭に成立した王国。717年に即位した初代王サンジャヤとその子孫による王統であることから「サンジャヤ朝」ともよばれます。当時の自称は「マタラム」ですが、16世紀に同地に興ったイスラム教国のマタラム王国と区別するため、現在は「古」が付けられます。

8世紀前半にジャワ島中部地域を広く支配した古マタラム王国ですが、隣接するシャイレーンドラ朝の台頭により、8世紀後半にはシャイレーンドラ朝の属国のような立場となりました。サンジャヤ王家はシヴァ神信仰を保ちながら、ボロブドゥール寺院などの仏教建築にも寄進を行い、シャイレーンドラ王家と友好的な関係を築いたとされます。
9世紀にはサンジャヤ家ピカタン王とシャイレーンドラ家の王女との結婚が成立。共同統治を経て、ジャワ島中部の実権は再びサンジャヤ家に戻りました。

古マタラム王国はインドネシア初のヒンドゥー王朝とされ、領内に多くのヒンドゥー寺院を建立。その代表が9世紀中頃に王都に築かれたプランバナン寺院で、現在は世界遺産に登録されています。また、プランバナン寺院の南にある「ボコの丘」の遺跡は、サンジャヤ家の王宮だったと考えられています。

ボコの丘の頂上に王宮跡とみられる遺構がある
ボコの丘の頂上に王宮跡とみられる遺構がある

古マタラム王国は、農業や交易により繁栄を続けますが、10世紀末から11世紀初頭に王国の中心はジャワ島東部に移動。その理由は定かではありませんが、ジャワ島中部にそびえるムラピ山の噴火や、疫病の蔓延などの説が挙げられています。ジャワ島東部への移転以降はクディリ王国とよばれ、古マタラム王国としての歴史は終焉します。

<古マタラム王国に関連する世界遺産>

「プランバナン寺院遺跡群 Prambanan Temple Compounds」
◆インドネシア◆1991年登録

※「東南アジア王朝史~3」へ続く

BACK TO TOP