三大寺院をめぐるバンコク旧市街散歩
バラエティに富んだ旅の楽しみがあるバンコクですが、はじめてのバンコクで絶対に外せない観光スポットといえば、チャオプラヤー川のほとりにたたずむ、ワット・プラケオ、ワット・ポー、ワット・アルンの3寺院です。18世紀、この地に新都を建設したラーマ1世と歴代の王たちによって築かれたこれらの寺院は、国民の信仰の礎であり、そこに見られる建築様式や宗教美術には、タイの歴史と文化が詰まっています。
三大寺院のほかに王宮や歴史ある寺院が集まる旧市街は、古い街並みに昔ながらの暮らしが息づくエリア。高層ビルが立ち並ぶ現代のバンコク中心街とはひと味違った、ノスタルジックな街歩きが楽しめるのが魅力です。
旧市街-ラタナコーシン島
旧市街エリアは「コ・ラタナコーシン(ラタナコーシン島)」という人工島に位置しています。実際に訪ねてもそこが島であることには気づきませんが、地図を見れば、蛇行するチャオプラヤー川と、川の南北を結ぶ運河によって島を形成していることが分かります。
チャクリー朝(ラタナコーシン朝、バンコク朝ともいう)の初代王ラーマ1世は、水運にも防衛にも適したこの地を新都の建設地と定め、王宮と守護寺院ワット・プラケオを建設。運河を掘り、島の周囲を城壁で囲みました。また、ラーマ1世はこの新たな王都に名前を付けたのですが、それが「世界一長い都市名」ともいわれる以下の名称です。
「クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット」
訳:「天使の都にして偉大なる都城 インドラ神の不滅の宝玉が座し給う戦争なき平和な都 偉大にして最高の地 九宝の如き楽しき都 数々の大王宮を持ち 神が権化して住みたもう インドラ神が建築神ヴィシュヴァカルマンをして造りし都」
非常に長い名前ですが、タイでは小学校に入ると歌にしてこの名前を覚えるそうです。「バンコク」というのは主に外国人が使う英語名で、現在のタイ語の正式名称は「クルンテープ・マハーナコーン」。日常的には「クルンテープ(天使の都)」と呼ばれています。
ラーマ1世が平和と繁栄の願いを込めて命名した「天使の都」。その都城こそが現在の旧市街-ラタナコーシン島であり、拡大を続ける大都市バンコクの原点ともいえる地です。
また、新都建設以前、この地には中国系の人々が多く住んでいました。これらの人々は城壁の外側に移住することとなりましたが、その移住先が現在「ヤワラー」とよばれるチャイナタウンです。
ワット・プラケオ
ワット・プラケオは王宮の敷地内にある王家の守護寺院で、タイで最も高い格式を誇る仏教寺院です。1782年、ラーマ1世により王宮と同時に着工。国の守護神である本尊のエメラルド仏(プラケオ)を安置するために建設されました。
本尊のエメラルド仏は、エメラルド色の翡翠でできている仏座像で、高さ66㎝、幅48㎝。その伝来については定かではありませんが、紀元前2世紀ごろにインドで作られ、5世紀ごろに東南アジアに渡ったといわれています。
その後、バガン、アンコール、スコータイの各王国を経て、15世紀にタイ北部のランナー朝チェンライとチェンマイでおよそ100年間、ランサーン朝ルアンパバーンとビエンチャンで約250年間保持されました。
数世紀にわたる長い年月の中で、いつしかこの小さなエメラルド仏はこれをもつ王国に数多くの利益をもたらすと信じられ、崇拝されるようになったと言います。
1778年頃、ラーマ1世(当時はトンブリー朝タクシン王に仕えるチャクリー将軍)がビエンチャンを攻略し、この貴重なエメラルド仏をバンコクへ持ち帰りました。一時ワット・アルンに保管された後、新王都と王家の守護神として、1784年にワット・プラケオ本堂に置かれました。バンコクの長い名前の一節にある「インドラ神の不滅の宝玉」とは、この仏像を指しています。
エメラルド仏は、本堂内部の中央、精緻な黄金細工を施した仏壇の最上部に安置されています。黄金やダイヤモンドを用いた衣装をまとっており、年に3回、国王みずから衣替えの儀式を行います。一般の参拝者も拝むことが可能ですが、写真撮影は禁じられています。
本堂のほかにも境内には歴代の王たちが奉納した様々な建造物が立ち並び、門衛神のヤックとモック、半人半鳥のキンナラなどの像が各所を守っています。金箔や色ガラス、真珠の象嵌(ぞうがん)や彩色瓦といった豪華でカラフルな装飾技術に、タイの寺院建築の粋を見ることができます。
プラサート・プラテープビードゥーン
チャクリー王朝歴代の王の実物大の像を安置する霊廟。1年に1度、4月6日の王朝記念日のみ一般公開されます。
プラ・モンドップ
ラーマ1世の時代に建てられた経蔵で、トリピタカ(三蔵経)を納めています。
プラ・シーラッタナー・チェディ
ラーマ4世によって建てられた仏舎利塔。旧都アユタヤのワット・プラ・シーサンペットをモデルにしたといわれています。
アンコール・ワットの模型
カンボジアのアンコール・ワットの精緻な模型が置かれています。
回廊
境内を取り囲む屋根付きの回廊には、タイの民族叙事詩『ラーマーキエン』の物語が描かれています。インドの叙事詩『ラーマーヤナ』をベースに作られたもので、アユタヤ陥落時にすべての写本は失われましたが、ラーマ1世が再編集し完成させたといわれます。壁画はラーマ3世の命によって制作され、1982年の建都200年祭の時に修復されています。
ワット・プラケオ参拝後は、一部ですが王宮の見学もできます。1789年にラーマ1世によって建てられ、その後、後継者によって改修されたデュシット宮殿、王朝100周年を記念してラーマ5世が1882年に完成させたチャクリー宮殿などは必見です。
注意!
ワット・プラケオをはじめ、多くの寺院では肌の露出の多い服装での入場は禁じられています。写真撮影についても制限がある場合があるので、現地の案内板などを確認しましょう。
ワット・ポー
巨大な涅槃仏(寝仏)で有名なワット・ポーは、王宮の南側に隣接しており、ワット・プラケオからは徒歩10分ほど。また、地下鉄MRTのサナームチャイ駅が徒歩5分の場所にできてからは、中心街からのアクセスも便利になりました。
ワット・ポーは創建が16世紀のアユタヤ朝時代と伝わるバンコク最古の寺院。1789年にラーマ1世が改修と拡張を行い、王室寺院としてより重要な地位を得る様になりました。今日見られる堂塔伽藍の多くは、1830年代のラーマ3世による改修工事によって完成したものです。
「涅槃寺」ともよばれるワット・ポーのシンボルが、体長46mもある巨大な涅槃仏です。1832年にラーマ3世の命により造立されたもので、ブッダの最期、涅槃に入るその寝姿を表しています。堂内いっぱいに横たわるその大きさと、全身を何層もの金箔で包まれて輝く姿は圧倒的。悟りの域に達して超然とした顔の表情も、独特の優しさと美しさを湛えています。
幅5m、高さ3mの足の裏には、「モンコイロンペート」といわれる仏教の宇宙観を表す108の図が真珠貝の螺鈿細工で描かれており、こちらも必見です。
ワット・ポーはタイで初の市民大学としても知られています。知識や学問が一部の上流階級層のものだった時代、ラーマ3世はさまざまな分野の知識をこの寺に集め、人々に開放しました。境内には天文学、医術、兵法、本草学、歴史学などに関する碑文や壁画が数多く残されています。
とりわけ医学の分野では薬草学やマッサージ術が発展し、ワット・ポーはタイ古式マッサージの総本山として今日に至っています。いまも敷地内にマッサージスクールがあり、学生たちによる格安のマッサージを受けられることで人気を集めています。
ワット・アルン
三島由紀夫の小説『暁の寺』でも知られるワット・アルンは、ラタナコーシン島とはチャオプラヤー川を挟んだ対岸にあたる、トンブリー地区に立つ寺院です。旧市街側からは、ワット・ポー近くのターティアン船着き場から渡し船に乗ってアクセスするのが一般的です。
ワット・アルンが立つトンブリー地区は、アユタヤ朝滅亡後の1767年に成立し、わずか15年で終焉したトンブリー王朝の都だった場所です。寺の創建はアユタヤ朝時代といわれていますが、トンブリー朝成立後に国王タクシンによって改修され、王室守護寺院となりました。
その際に、それまでワット・マコークとよばれていた寺院名を、「夜明けの寺」を意味するワット・チェーンと改めました。これは、アユタヤから川を下って逃れてきたタクシン王が、夜明けの中でこの寺にたどり着いたからだといわれています。チャクリー朝時代に「暁の寺」ワット・アルンとなりましたが、いまも寺の門衛神ヤック像は「ヤック・ワット・チェーン」の名で通っています。
チャクリー朝に入り都が対岸に移された後は、ラーマ2世がこの寺を特別に保護し、大改修に着手。事業を受け継いだラーマ3世の時代に完成し、現在の姿となりました。
シンボルの大仏塔は高さが67mあり、最上部にはエラワン象に乗ったインドラ神が鎮座。大仏塔を囲む4基の小仏塔と合わせて須弥山(しゅみせん)を具現化しています。いずれの塔も中国陶器の破片を用いた色鮮やかなモザイクで装飾され、陽光を浴びて輝く姿がみごとです。
対岸にはワット・アルンを望むルーフトップカフェが数多くあるので、日没の時間に合わせて訪れるのもおすすめ。夕景からライトアップされる夜景まで、幻想的な寺院の姿を観賞することができます。
プレーン・プートン通り
旧市街には昔ながらの街並みがところどころに見られますが、王宮の東側にあるプレーン・プートン通り一帯もそのひとつ。ここはラーマ5世の時代に整備された商業地区で、中国と西洋の建築様式を融合した2階建ての長屋のような建物がそのまま残っている通りです。
昔ながらのココナッツアイスの店や、珍しい豚の脳みそスープのクイティオ店など老舗の飲食店が多く、食べ歩きも楽しめます。
カオサン通り
旧市街の北側には「バックパッカーの聖地」として有名な安宿街のカオサン通りがあります。世界中から老若男女の旅人が集まる通りには、安い衣料品店やオープンテラスのパブ、路上にいすを並べるマッサージ店などがずらりと並び、さらには昆虫食の屋台や派手なペイントのトゥクトゥクが通りを埋め尽くします。
カオサン通りの北側へ足を延ばせば、チャオプラヤー川のほとりに白亜のプラスメン要塞が立っています。この砦はかつて都を囲んでいた城壁に設けられた監視塔の1つで、ラーマ1世による王都建設時の記憶を伝える貴重な遺構です。周辺にはレトロな雰囲気のカフェや食堂も多くあり、のんびりとひと休みするのに最適です。