北タイの少数民族
タイルー族の村の暮らし
北タイの各県には、独自の言語や精霊文化(アニミズム)を持つ少数民族が暮らしています。
少数民族の文化は、展示された空間ではなく、実際の集落で人々の暮らしに触れてこそ見えてくるものです。そこでチェンマイ滞在中に、タイルー族の村を訪れ、村の人々と時間を共にしました。
タイルー族とはどんな人々か

タイルー族は、中国雲南省シップソーンパンナーに起源を持つ少数民族です。
19世紀以降、戦乱や生活環境の変化を背景に、ラオスやミャンマーを経て、現在のタイ北部へ移住してきました。
彼らはタイルー語という独自の言語を話しますが、都市部との交流が進んだ現在では、多くの人がタイ語も使いこなしています。
私が訪れたチェンライ県のワンパイ村は、チェンマイとチェンライの県境を流れるコック川沿いにあるタイルー族の集落です。人口はおよそ190人、約40世帯ほど。村の中心部だけであれば、1時間半ほど歩けば一通り見て回れる規模です。集落内には複数のお寺があり、早朝には托鉢に向かう僧侶の姿も見られます。その点では、信仰のあり方や生活の基盤は、中央タイの仏教文化と大きく変わらない印象を受けました。
一方で、家の軒先で織物をする女性の姿や、木造の高床式家屋が連なる風景は、都市部ではほとんど見られません。こうした暮らしの景色に、タイルー族ならではの文化が今も残っています。
暮らしが形になったタイルー族の高床式住宅
タイルー族の住居は、木造の高床式住宅が基本です。実際に村を歩いてまず印象に残ったのは、家屋の正面に設けられた、縁側のような半屋外の空間でした。

私が滞在した家でも、食事はこのスペースでとることが多く、客人を迎える場として自然に使われています。
屋内でも屋外でもないこの中間的な空間が、暮らしの中心になっている点が印象的でした。
屋根は近年トタンに張り替えられた家もありますが、多くは入母屋屋根です。雨季の激しい雨を受け流し、強い日差しを遮るだけでなく、特別な資材がなくても、経験と知識があれば村人の手で建てられる構造であることも、この形が受け継がれてきた理由だといいます。


中には、ビルマ建築の影響を感じさせる重層屋根の家屋も見られました。これは、タイルー族が雲南からラオス、ミャンマーを経て移動してきた歴史を、住居のかたちとして今に残している例です。
高床式住宅や寺院建築を見ていると、タイルー族の建築は単なる「伝統様式」ではなく、ランナー文化やビルマ文化を取り込みながら、暮らしに必要な形へと調整されてきたものだとわかります。
住まいそのものが、彼らの歴史と生活の知恵を物語っていました。
こんにゃくと納豆が並ぶタイルー族の食卓

タイルー族の食文化では、こんにゃくが日常的な食材として使われています。これは、中国雲南省で古くから食されてきた食文化が、タイルー族の移動とともに受け継がれてきたものだと考えられます。
実際、村の家庭によっては、こんにゃく麺を作るための簡易的な製麺機が置かれており、外部からの訪問者向けにこんにゃく作りの体験が行われることもあります。特別な「観光用メニュー」ではなく、日常の延長としてこんにゃくが存在している点が印象的でした。

こんにゃくの使い方も多彩です。香草や野菜と和えてサラダのように食べることもあれば、タイルー族風のカオソーイに加えられることもあります。
このカオソーイは、バンコクやタイ中部で一般にイメージされる濃厚なココナッツベースのものとはまったく別物です。見た目も食感も軽く、こんにゃくが加わることで、むしろ素朴で滋味深い料理になっています。


もう一つ、日本人にとって意外性があるのが、北タイに根付く納豆に似た文化です。タイルー族は発酵させた大豆をすりつぶし、唐辛子やにんにく、塩を加えてナムプリックと呼ばれるディップにして食べます。


このナムプリックは、日本の納豆を思わせる発酵の香りを持ちながら、辛味と塩気が加わることで、日本人にも馴染みのある味わいです。実際、酒のつまみとして出されても違和感がなく、「北タイでこれを食べるとは思わなかった」という感覚を覚えました。
タイの地方にて、こんにゃくや納豆が並ぶ食卓には、親しみを覚えました。遠く離れた地域でありながら、日本と同じ発酵や保存の知恵が使われてきたことを、味覚として実感できる体験でした。
タイルー族の食文化は、異文化というよりも、「どこか知っている感覚」によって距離を縮めてくれます。
信仰と暮らしが重なる象祭り「サラガパッ」

象徴的な文化として強く印象に残ったのが、毎年11月に行われる仏教行事「サラガパッ」です。
サラガパッは、北タイのランナー文化圏で受け継がれてきた、功徳を積むための慣習です。托鉢で集まった寄進品は、僧侶がくじ引きで受け取ります。行き先を人が決めないことで、寄進の内容や量が評価や序列に変わることはありません。ここでは、誰がどれだけ差し出したかではなく、村全体で差し出したという事実だけが残ります。

ところが、ワンパイ村で見たサラガパッは、一般に想像される宗教行事とは少し様子が違っていました。それは信仰の場というより、村全体が動く年中行事に近いものだったのです。
祭りの中心になるのは、象の山車です。木材で土台を組み、紙や布で形を作り、色を重ねていく。誰か一人が指揮を執るわけではなく、空いた時間に子どもも大人も自然と集まり、作業が進んでいきます。

象が選ばれる理由は、仏陀の母が懐妊した際に象の夢を見たという仏教説話に由来するという説があります。ただ、村でそれを由来として語る人は多くありませんでした。理由を説明するよりも、「毎年そうしてきた」という感覚の方が近いように感じられます。
完成した山車を引いて村を歩く光景は、信仰を誇示するためのものではありません。むしろ、「今年も皆でここにいる」ことを、互いに確かめ合う行為に見えました。
残された暮らしと、失われつつあるもの

文化が今も息づいている一方で、村が抱える現実もあります。ワンパイ村では、若者の多くが仕事や教育を求めて都市へ出ており、村に残るのは年長者が中心です。
高床式住宅は今も村人の手で建てられていますが、設計や工程を把握し、作業を指示できる人は年長者に限られてきています。家を建てる技術そのものよりも、それを共有し、次へ手渡す役割が、減っている印象を受けました。
それでも、私たちのように外から来た人間が「見た」「知った」という事実が、村の営みを今の形で記録する一助になることは確かです。好きになったからこそ、失われつつあるものにも目が向く。ワンパイ村での滞在は、そんな当たり前の感覚を思い出させてくれました。
文・写真:伊藤良二
タイ在住のライター、ブロガー。
バンコクを拠点に、北タイを含む各地を歩き、現地の暮らしや文化を取材。
運営ブログ「タイ一択」では、タイ在住者や旅行者に向けて、
街歩きや地方の村、ローカルカルチャーを含む観光情報を発信している。
取材協力:ManiTabi




