インドネシア ジャワ中部のバティックを巡る旅へ

日本ではジャワ更紗とも言われるバティックは、インドネシア各地で作られているろうけつ染めの布。インドネシアのジャワ島では、古くから王宮文化の中でバティック作りが育まれ、今でも独特の文化を保っています。
バティックの歴史や今を知るために、中部ジャワの中心都市ジョグジャカルタと古都ソロを訪れてみましょう。

2021.12.13

ジャワ王国の歴史とバティックの深い関係

インドネシアの各地で、さまざまな柄やデザインのものが制作されているバティック。そのルーツを辿ると、11世紀頃のジャワ王宮で盛んになったという説があります。ジャワ語でバティックの「(ン)バッ 」は投げるという意味、「ティック」は小さな点のこと。ジャワ特有の神秘主義や王宮文化の中で、音楽、舞踊、影絵などの伝統文化とともに、緻密なバティック作りが奨励されていきました。

当時、バティックには、王族や貴族以外は着用できない禁制文様があり、さまざまな柄には権威や個人を象徴する意味づけがなされていました。例えば、S字のようならせんが斜めの縞をつくる連続模様「パラン」は、王権の象徴。植物の芽を様式化した「スメン」は、若々しさを重んじる世界観を表現する、といったように。

そうした禁制文様が解禁されたのは、インドネシアが独立した1945年の直後のこと。当時のスカルノ大統領が、地域の違いや身分の格差なく国民の全員が着用できる “バティック・インドネシア”を提唱。誰でも自由に、好きなバティックを身につけることができるようになりました。

バティックは、伝統的には腰に巻く布サロンとして着用しますが、最近ではシャツをはじめとするさまざまなアイテムが登場しています。

かつての禁制模様であった「パラン」柄を用いて、カラフルな色味に仕上げたバティック。
かつての禁制模様であった「パラン」柄を用いて、カラフルな色味に仕上げたバティック。
砂糖椰子の実を輪切りにしたような「カウン」も、中部ジャワ独特の伝統文様。これもかつては禁制模様だった。
砂糖椰子の実を輪切りにしたような「カウン」も、中部ジャワ独特の伝統文様。これもかつては禁制模様だった。

伝統的なバティック作りはすべて手作業

伝統的なバティックは、熟練の職人の手によって仕上げられます。用いる布は、絹や木綿。手描きのバティック・トゥリスの場合、まず、まっさらな布の上にチャンティンという道具でロウを置き、染めたい柄の部分を防染します。染料で染めたら、洗い流され、さらに別の柄の部分にロウを置いて、また染められる。色数や濃淡が多い複雑な柄ほど、工程も限りなく多くなります。

手描きのほかに、銅製のチャップというスタンプ型を用いてロウを置く技法や、手描きとチャップを組み合わせたコンビナシという技法もあります。いずれも精緻な柄に仕上げるためには、高い技術が求められます。インドネシアのバティックは、2009年、世界無形文化遺産に認定されています。

ロウ置きの作業過程では、チャンティンという筒状の銅製の道具に熱いロウを入れ、細やかな点や線、面を正確になぞっていく。
ロウ置きの作業過程では、チャンティンという筒状の銅製の道具に熱いロウを入れ、細やかな点や線、面を正確になぞっていく。
銅製のチャップというスタンプ型に熱いロウをつけて、柄が連続するように、丁寧にかつ素早く布の上に押しつけてゆく。
銅製のチャップというスタンプ型に熱いロウをつけて、柄が連続するように、丁寧にかつ素早く布の上に押しつけてゆく。

ジョグジャカルタ王宮内のバティック博物館

ジョグジャカルタの王宮(クラトン)には、現在もジョグジャカルタの王族が暮らす。
ジョグジャカルタの王宮(クラトン)には、現在もジョグジャカルタの王族が暮らす。

 

ジョグジャカルタでまず訪れたいのは、1756年に建てられたジョグジャカルタ王宮。16世紀末、中部ジャワ地方に興った新マタラム王国は、1745年にジョグジャカルタのスルタン王家とソロ(スラカルタ)のススフナン王家に分裂。スルタン家は、インドネシアの独立に貢献したため、現在もジョグジャカルタは特別州となっています。

儀式の際に、王室の宝物を携える侍女たちがまとったバティック。博物館では、ジャワ王宮独特の文化もわかり興味深い。
儀式の際に、王室の宝物を携える侍女たちがまとったバティック。博物館では、ジャワ王宮独特の文化もわかり興味深い。

王宮内には、名君ハメンク・ブオノ九世の博物館のほかに、バティック博物館もあります。かつてジャワの王族や家臣、使用人たちがどんなバティックを着用していたのか、王宮とバティックの関連性がよくわかる展示となっています。

また、王宮を護る護衛兵として控える方々は、かつての家臣の子孫。彼らが身につけているのは、ジャワ伝統の正装であるバティックの腰布カイン・パンジャンと帽子ブランコン。茶と藍の落ち着いた色合いにすっきりと白が効いているのは、ジョグジャカルタ独特の色合いです。

 

王宮  The Kraton
Jl. Rotowijayan Blok No. 1, Kota Yogyakarta, Daerah Istimewa Yogyakarta

マリオボロ通りで気軽にバティックショッピング

ジョグジャカルタで気軽にバティックを買うなら、マリオボロ通りへ。王宮からジョグジャカルタ塔まで続く大通りの一部で、市内でも最大の繁華街です。レストランやホテルが立ち並ぶ中、数多くのバティックを売る店が点在しています。ちなみにマリオボロとは、サンスクリット語で「花の首飾り」の意味。かつて、この通りは、特別な行事の際、多くの花で飾られたそう。

マリオボロ通りにある店では、シャツやサロンなど、地元の人が日常的に着るバティック製品が見つかります。気軽なお土産にできそうな雑貨アイテムなども探してみましょう。

馬車も走るマリオボロ通り。右手のブリンハルジョ市場の内部にも、バティックを売る店がずらりと並ぶ。
馬車も走るマリオボロ通り。右手のブリンハルジョ市場の内部にも、バティックを売る店がずらりと並ぶ。

古都ソロの“バティック村”を訪ねる

細い路地が縦横に続く一帯に、バティック工房やショップが集まっているカウマン地区。
細い路地が縦横に続く一帯に、バティック工房やショップが集まっているカウマン地区。

ジョグジャルタから車で約1時間ほどのソロ(スラカルタ)。ジョグジャカルタの王家と別れたススフナン王家が、さらに二つの王家に別れたため、現在も二つの王宮が残り、観光地となっています。

カスナナン王宮の近く、クレウェル市場に隣接する地区がカウマン地区。もともと王宮御用達のバティックを生産する職人たちが集まっていた地区です。現在も80件ほどの工房が軒を並べ、古典的なものから新しいものまで、さまざまなバティックが生産されています。伝統的な工房は、編み出したデザインが盗まれないよう、通りからは中が容易には覗けない造り。現在では、観光客が訪れることができる店舗も多くなりました。

カウマン地区でも、老舗の工房が「グナワン・スティナワン」。店の奥では、バティック製造の様子を見学することができる。
カウマン地区でも、老舗の工房が「グナワン・スティナワン」。店の奥では、バティック製造の様子を見学することができる。

バティックの歴史がわかるアンティーク・バティック博物館

ソロで、ぜひ訪れたいのが、「ダナール・ハディ アンティーク・バティック博物館」。ダナール・ハディは、インドネシアの三大バティック企業のなかでも、地元ジャワ系のオーナーが経営することで知られています。

店舗の奥にある博物館には、貴重な古いバティックが数多く展示され、ジャワ中部はもちろん、国内各地のバティックの歴史を、時代を追って観覧することができます。ジョグジャカルタの布は赤みの強い茶と藍と白だけれど、ソロのは黄色味がかった茶で白も黄色味を帯びていたり。結婚式の際に着用するおめでたい吉祥柄があったり。ぱっと見て美しいだけではなく、細部を見ると、限りなく奥深い世界が広がっているのが、バティックの面白さでもあります。

貴重なアンティークバティックの数々が、年代やテーマごとに展示される。
貴重なアンティークバティックの数々が、年代やテーマごとに展示される。
ジャワで、結婚式の際に身につけるおめでたい柄のバティック。
ジャワで、結婚式の際に身につけるおめでたい柄のバティック。
ダナール・ハディ  Danar Hadi
Jl.Slamat Riyadi 261,Surakarta 57141

文・写真 : 坪田三千代 (Michiyo Tsubota)

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